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オランダ公演/MUGEN/アムス テルダム国立劇場’98のポスター |
■プロフィール東郷 健(とうごう けん、1932年6月10日 生まれ)
雑民の会代表。 【主な経歴】
後妻の子。異母兄は「継母いじめ」を行い、父の死後は家長として健の母を召使いのようにこき使ったという。実母は東京女子高等師範学校(今のお茶の水女子大学)の三期生(加古川女学校の教師であった)。実母の没後、異母兄は健の行状を理由に、健の遺産相続権を奪う訴訟を起こし、異母兄側が勝訴した。 1955年、関西学院大学商学部卒業。銀行員、ガソリンスタンド経営、ブロイラー事業を日本で初め50,000羽を生産する、ゲイ雑誌「The Gay」「ザ・ケン」編集長、エイズ啓蒙活動、ゲイのための診療所開設、ゲイのオリンピック「ゲイ・ゲームズ」支援、ゲイバー(「サタデイ」「BAR東郷健」)経営などを手掛ける。特に巨額の供託金出費を強いられる国政選挙に16回立候補し、幾度もの経済的破綻を経験。
その他、ニューヨークの世界的に有名なラ・ママ実験劇場では日本人初公演のTeeGeyOrient、オランダ(政府の劇場提供)アムステルダムではMUGENが大好評、など世界各地で日本のゲイ事情を芝居や映画により発表。 |
【活動の概要】公的活動開始の前提として、当時としては極めて珍しく同性愛者であることをカミングアウトし(このことは1971年6月イギリスのデリーミラー(新聞)は東洋が生んだ21世紀の天使と写真入りで社説に論じた)、同性愛・セクシャルマイノリティ・障がい者への偏見や性差別の撤廃、性病・エイズ問題の解決などの30年余一貫した主張を掲げて、執筆、講演、演劇活動等を旺盛に展開した。かつては参議院議員選挙、衆議院議員選挙、東京都知事選挙へ選挙機会ごとに立候補し、いずれも落選。政見放送・選挙公報を通じ、タブー視されていた「おかま」の語を敢えて多用したため、昭和末期~平成初期のお茶の間に一種のカルチャーショックを呼び起こした。 自らも各種選挙に立候補する一方で、日本社会党には好意的であった。しかし1978年、『週刊ポスト』の企画で向坂逸郎と向坂宅で対談した際、「ソヴェト共産主義になったら、お前の病気は治ってしまう」と同性愛を病気呼ばわりされたため喧嘩になり、向坂に追い出される形で対談は打ち切られた。東郷は、2002年に出版した『常識を越えて―オカマの道、七〇年』で、「向坂さんは、日本の天皇陛下のように税金を喰いものにすることはないだろうけれど、社会党左派のシンボル的な天皇陛下ではないか」と評している。また、同書の出版パーティーで、社会党の後継である社会民主党の保坂展人は、「向坂逸郎氏は、『ゲイは病気であり、ソビエト社会主義になれば治る』と発言したが、これは誤りだ。申し訳ない」と事実上党として陳謝した。 著書・対談集多数。新宿二丁目で永らくバーを営むが、乗っ取りや経営不振によって幾度となく失敗。2006年6月新宿ゴールデン街での営業再開と共に、1970年代の伝説的レコード『薔薇門』をCD化再発売し記念イベントを敢行するなどしたが、その後再び東郷健”もっともっと愛を”としてイベントを続け、第4回目になっている。 2008年11月26日(水)ロフトプラスワンで5回目を催す。 【坐右銘】
【結婚に関して】東郷は、同性愛者の異性との結婚を「おかまは社会からの偏見により偽りの結婚をする」と説明し、自分の結婚について悔いている旨を政見放送で吐露した。また、銀行員時代の直属の上司が扇千景・元参議院議長の実父だったが、彼も既婚のバイセクシュアルで、恋愛関係にあったと後に証言している。 同様に同性愛者でありながら結婚した著名な例として、経済学者のケインズが挙げられる。 ■東郷健「21世紀における輝ける東洋の星」(デイリー・ミラー紙 イギリス 1971)1932年6月10日、兵庫県加古川市で生まれる。関西学院大学商学部を卒業後、銀行員となる。退職後ガソリンスタンド、スーパーマーケット、また、日本で初めてのブロイラー産業の経営を手掛けた。 紆余曲折の後、姫路市にゲイバーをオープン。その名は『るどん』。『るどん』の名の由来は、三島由紀夫の小説『禁色』の中に出てくるホモ達があつまる店の名であり、フランス画家オディロン・ルドンの絵が好きだということでもあった。この『るどん』には、小説家の椎名麟三や中村真一郎などもよく来店した。特に椎名麟三とは『るどん』で交友が深まり、当時のことは、『陰花植物群』(東郷健 著)に椎名麟三が序文を寄せていることからも明らかである。また、椎名麟三は東郷健に色紙を2枚贈っている。一枚は「冬の蝿 死にどころがなく 這いにけり」、もう一枚は「しばしこそ慰め遊ばん園の花 姫路の夜をいかで忘れん」と詠んでいる。 1971年、参議院選に全国区から立候補。当時の恋人と従業員の3人で選挙演説を開始する。宣伝カーに乗って演説をしていても、誰も見向きをしないことから「オカマ、オカマの、東郷、健。参議院議員立候補、オカマ、オカマの東郷健がまいりました」と東郷健は叫んだ。その途端、中年の男が、手に持っていた荷物を落として、「とうごうけん」と書いた赤い宣伝カーを見たそうである。これでいこうと決め、東京中、オカマの東郷健と、マイクに向かって訴えはじめた結果、『オカマの東郷健』が誕生する。 このときのことを、東郷健との対談の中で、野坂昭如が語っている。野坂昭如は、東京オリンピックの少し前をさして 野坂「あの頃からゲイバーが一般化してきて、女性もゲイと話すると面白いから飲みに行くようになって、一種の市民権みたいなものが少しずつでてきてね。あるいは芸能界でも、自分がホモであることをあまり隠しだてしないーーあまりひんしゅくをかわないような状態に昭和40年くらいからなってきたね。そこへ、あなたが『オカマの東郷健』ってでてきたわけね。あれは何年でした?」 東郷「46年です」 野坂「あの時、見てて、革命が起こったと思ったね。テレビでの公報で堂々と自分はオカマとはっきりいって、オカマの権利を主張するというのは、新しい民主主義の革命を開いたと思って、それ以後、あなたを尊敬しているわけですよ(笑)」 東郷健は、参議院選に14回、衆議院選に1回、東京都知事に1回立候補した。(東郷健の選挙演説はyoutubeなどでご覧いただける。)1982年に参議院選挙の全国区が比例代表区に変わったことで無所属で立候補ができなくなったことを契機に、東郷健は『雑民党』を結成し代表を務める。『雑民』とは、『deracine(フランス語で浮き草の意)』。『雑民』という言葉には、東郷健の全ての思想、行動、そして魂がこめられている。現在においても東郷健は『雑民』を世に広めたいと切に願っている。 また、『the gay』などの雑誌の編集・発売も通して、ゲイの人たちをはじめ、ひとの自由の権利を求め続けてきた。(残念ながら現在は休刊中) 東郷健の従兄弟は、影絵画家の藤城清治(ふたりの母が姉妹)。東郷健とは、唯一、親類付き合いが続いている。 東郷健の愛猫の名前は「チン」。東郷健曰く「チンはチンでもチンチンのチンやけどね!」 ■反骨の人、東郷健さんとお会いして/宮崎留美子 著オカマ、パンパン、妾、ホステス、サド、マゾ、レズと差別され区別されているあなたへ送る愛の詩。
もしもあなたが異常者と呼ばれ (以下、略) 1977年7月10日 衆議院(東京選出)議員立候補 パーティーの会場で、そして、新宿二丁目にある二次会があった「とげぬき地蔵」というスナックで、私に柔和な目を向けてくださった東郷さん。反骨精神旺盛の徹底した闘士は実は最も柔和な人なのだということが、ここでも証明された。20世紀初頭のドイツの社会主義者、女性革命家で恐い人と噂されていたローザ・ルクセンブルクは、実は、花々を愛でる心やさしい人だったことが、今では知られている。弱い立場の人の側にたち、権力と厳しくたたかっていく人こそ、実はもっとも心温かい人なのだ―――この命題を、私は信じたい。そして、私自身が、そういう「温かい人」になれるかどうか、自分への問いかけとしたいと思っている。 東郷さんの柔和な目をぜひみていただきたい。「変な異常なオカマ」を、私は、急に好きになってしまった。それだけの人間的な魅力をもった人、それが東郷健さんなのだ。 ■ちらしを拾った方に幸せを/活動中に作成されたチラシより
酔っ払いの人生の中でふと気がつくと、明日のない東郷健って奴がいた |
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